モラトリアムです。

お題「ブログ名・ハンドル名の由来」

 

「モラトリアム大学生あいぼん」というタイトルでブログを始めた。

 

わたしは今大学4年生で、就きたい職業も決めている。でもまだ、社会に出る前に、もっともっとやっておかなければならないことがある気がしている。

 

ひとつは、本を読むこと。

わたしは元々あまり本が好きではなかった。新書の匂いや本棚周辺の独特の静けさが苦手で、本屋さんに近づこうとしなかった。

でも、大学3年生の頃に、これは大分損をしているのではないか?と考えるようになった。そこから少しずつ読み始めたが、まだまだ読み足りていない。

 

ふたつめは、旅行に行くこと。

わたしは特にバイトで稼いでいたわけでもなく、アウトドア派でもないために、大学の間に旅行をあまりしなかった。でも、知らないことを知ることのおもしろさ、遠くの土地に愛着を持つことの意味などなど、考えたらもっといろんな所に行きたくなってきた。

 

みっつめは、語れるようになること。上のふたつもこの中に含まれる部分があるが、わたしは自分のことばで物事を語れるようになりたい。

たとえば自分自身のこと。何が好きで何に興味があって、何が苦手でそれはなぜなのか。自分のことなのに、なんだかまだよくわかっていない気がする。

たとえば社会のこと。知っていることを増やして、興味を広げて、社会の問題も自分の問題として考えられるようになりたい。よくわかんないや、でスルーしてしまいたくない。

 

こんなようなことをして、人と話して、考えて、自分自身の在り方みたいなものをかたちづくるには、時間が必要だと思う。

これをするのがモラトリアムかな、と思って、そしてわたしはその最中にいる、と思ったから「モラトリアム大学生」とつけた。

 

特に、わたしは、子どもたちに教える職に就くことを考えている。教科書をなぞるだけじゃない、厚みのある指導をするためにも、質の高いモラトリアムを過ごすことの必要性を感じている。

 

そして、わたしは大学院に行くことになりそうだ。

研究など、大変であろうことは承知の上である。その上で、4年間、サークルなどで忙しくて満たせなかったこれらの欲を、しっかりと満たして、自信をもって社会に出られるように努力したい。考えたことをアウトプットする練習の場としても、このブログを使っていきたい。

 

そのうちタイトルを「モラトリアム大学院生あいぼん」に変えるかな?

忘れられないピアノの話。

衝撃だった。

あんなに嬉しそうに鳴るピアノを見たのは、初めてのことだった。

 


曲は、ラヴェルの「水の戯れ」。
奏者は、中学生の女の子。

冒頭の1小節から、ピアノと奏者の「2人」の世界に引きずり込まれた。

 

それまでのわたしは、疑いもなく、ピアノ演奏の主体は奏者だと思っていた。ピアノ自体は、演奏のための道具にすぎないと考えていた。
でも、その演奏は違った。そこでは確実に、演奏はピアノと奏者の「2人」によって創り出されていた。

 

2人の関係性はこうだった。奏者は、ピアノの気持ちを理解してピアノに寄り添おうとしている。ピアノは、奏者がそうしてくれるのが嬉しくて、表情豊かに鳴ってみせる。

 

例えて言うなら、人間と飼い犬の関係性。犬には名前が付けられ、家族の一員として可愛がられる。飼い主の人間は、お腹のここをさすったら嬉しそうな顔をするんだよな、などと考えながら飼い犬と触れ合う。犬のほうも、嬉しいときには尻尾を振って全身で喜びを伝えるし、飼い主がつらそうなときには寄り添う。

 

この奏者はピアノに名前こそ付けていないだろうけれど、こんなふうにピアノがどこをどう弾かれたら嬉しいかをわかっていた。ピアノと奏者の「2人」は、一体化し共鳴していた。さらには、ピアノのために奏者が鳴らしてあげているようにも見えた。この演奏において、ピアノは全くもって道具なんかじゃなかった。

 

この演奏を聴いたとき、わたしは中学生だった。その後3日ほど、この演奏のことばかり思い出して過ごしていた。あんなふうに弾けたらどんなに気持ちいいだろう。どんなに楽しいだろう。どんな練習をして、どんなことを感じて、考えたらあんなふうになれるんだろう。やっぱり才能も大事なのかな。そのときに答えは出なかったけれど、練習表に丸をつけるためだけに弾いているのではないだろう、ということだけはわかった。

 

今改めて考えてみると、やっぱり「2人」で演奏していたところが肝だと思う。ピアノと粘り強い対話を重ねていたからこそ、ひとりよがりにならずに、ピアノから音を引き出せたのではないだろうか。

 


わたしはあの演奏を、あれから10年近く経った今でも時折思い出す。

 

あの子は今もどこかで、ピアノを鳴らしているのだろうか。

 

 

セブンイレブンが好きです。

お題「コンビニ」

コンビニが好きです。中でも、セブンがいい。

 

こんにちは、こんばんは、あいぼんです。

今日は、「コンビニ」というお題で書いてみます。わくわく。

 

学校の食堂がお休みの日は、よくセブンイレブンでごはんを買います。自分で作った方がいいよなって思うこともありますが、疲れてたりすると無理です。それに、なんてったって、セブンのごはんはどれもおいしい。

他のコンビニと格が違うと思うんです。まず種類の多さ。そしてどの料理もハズレがない。別のコンビニで買ったスープはおいしくなくて、自分でコンソメを足して食べたこともあるけれどセブンイレブンはそんなことはありません。コンビニのクオリティじゃないと思うものがいっぱいあります。

 

わたしはたらこが好きなので、たらこのサラダパスタをよく食べます。あったかいパスタでもたらこをよく選びます。おにぎりもたらこ。たらこ商品が多いのもうれしいところです。

 

そもそもわたしがコンビニのごはんを喜んで買っちゃうことには、ちょっとわけがあります。

 

わたしの両親は、食べ物にわりとこだわりがあって、食品添加物などがあまり入っていないものを選んでわたしに食べさせてくれていました。それはとてもありがたいことなのですが、その結果ごはんを外で買ってたべるということがなかなかできなかったのです。友達がコンビニで買ったお昼を持っていたりすると、ちょっとうらやましかったり。

 

でも、年に2.3回だけ、コンビニのごはんが食べられる機会がありました。車で4時間ほどかけておじいちゃんの家に行く日だけは、コンビニで買ったごはんを車で食べることが許されていたのです。

 

ああ、今日はついにコンビニのおにぎりが食べられる。あの、どう気をつけても海苔の端っこが一緒に破けてしまってうまく開けられないビニールの包装。手で握るサイズよりちょっとでかい、正三角形の丸裸の白いおにぎり。それを包むパリパリの海苔。

 

3.4ヶ月前に食べたコンビニのおにぎりの姿を思い出しながら、おにぎりコーナーに駆け寄るわたし。でも両親には、コンビニのおにぎりが好きだなんて言ってはならない気がして、密かに心を躍らせていたわたし。

 

わたしは満を持して、パリパリのおにぎりを持ってレジに向かうのでした。

 

こんなことがあったので、今でもコンビニに行くときはちょっとわくわくしてしまいます。まだ背徳感も持っているのかもしれません。

 

正直、当時は小さかったので、車で行っていたそのコンビニがセブンイレブンだったかどうかの記憶は定かではないのですが。そこは許してください。今はセブンイレブンが一番好きです。ごはんがおいしいからね。

 

今日もセブンに寄って帰ろうかな。

 

あいぼんでした、それではまた。

 

ごあいさつです。

みんなのすなるブログといふものを、わたしもしてみむとてするなり。

 

こんにちは、こんばんは、あいぼんです。

初めましてです。

 

「男のすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」

 

紀貫之はこの言葉で、かの有名な土佐日記を書きはじめました。

 

わたしは今日、ブログを始めてみようと思ってつい30分前に開設したところです。何から書きはじめようか考えていたところ、この台詞を真似してみることを思いついてしまいました。やってみたかっただけです、すみません。

 

貫之は男性ですが、女性の書き手を設定して書いたそうですね。

わたしはと言いますと、地方の大学でモラトリアム期を過ごす大学4年生でございます。女性です。

わたしはそのまま女性の書き手で書いていこうと思います。はい。

 

わたしは今、就職のためのとある試験を受けて結果待ちの状態です。また、モラトリアムを延長すべく大学院進学も考えており、その入試も控えております。

 

そんなもやもやとした状態ではありますが、なんか新しいことやりたい!し、自分の考えてること整理してみたい!し、残り少ない大学生をちゃんと楽しみたい!し、文章を書く力つけたい!し、文章にできるような中身のあること考えたい!などなど、やりたいことが頭の中でどんどん膨らんでいるのです。そんな思いを形にするためにブログを始めてみたというところであります。

 

読む人がいるのかもわかりませんし、読んで面白いものが書けるかもわからないですが、やってみないと始まらないと思うのでとりあえず始めてみますね。

 

投稿するの緊張するなぁ。

とりあえず、これからよろしくお願いします。

 

それではまた。

あいぼんでした。